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ストレスの捌け口と社員の吊るし上げ

今日は、私の体験談をお話しようと思います。 時は数年前に遡ります。 まだ、世の中に≪ブラック企業≫などという言葉が飛び交っていなかった頃。 新卒採用で入社したその会社で、私はもう一人の同僚と共に研修生として働き始めました。 志望動機は≪コピーライター≫という職種に憧れていて、広告業界でその勉強をしたかったことです。 中小企業ではありましたが、広告業界へ足を踏み入れた私は、≪ブラック企業≫の現実を痛感しました その企業には一課と二課に分かれていまして、一課は企業向けの広告制作を担当。 二課はイベントやエンターテイメント系の公報を担当していました。 私が希望していたのは二課でした。 しかし研修期間は、同僚と交代で両方の仕事に携わるのがルールでした。 一課に回された一ヶ月は、正直、精神的にも肉体的にも辛い日々でした。 広告は商品をいかに魅力的にアピール出来るかが勝負です。 そのためには、まず、商品を知らなければなりません。 商品のサンプルの整理や広告の契約を結んでくれた企業への挨拶回り。 所謂、営業が主な研修でした。しかも帰宅時間は午前様。 翌日は誰よりも早く出社するのが、暗黙のルールで。怠ると課長のヒステリーの餌食になります。 一ヶ月の一課での研修を終えると、次は二課での研修。 こちらは上司とも上手くコミュニケーションが取れましたし、ライティングスキルを持つ方との仕事は色々と勉強になりました。 そうして三ヶ月間の研修が終了し、同僚と共にどちらの課に回されるか、辞令を待ちました。 結果―― 私は一課、同僚は二課へと回されました。 はっきり言って絶望的でした。 社長に対して二課への配属をしっかりと希望していたし、意思表示もしていたと思います。 私が二課に対してふさわしいスキルを持ち合わせなかったのか、とも考えました。 しかし、理由は全然別のところにあったのです。 一課にはバリバリのキャリアウーマン課長が居座り、二課には温厚な菩薩な課長がいました。 はっきり言えば飴と鞭ですね。 同じ新卒入社だったはずの同僚の仕事ぶりは、どうも目に余るものが多かったそうです。正直、どちらの課でも一から社会の常識を叩き込まなければいけない、という結論に至りました。 だったら、ビシビシ鞭で叩かれるよりは、飴を与えて褒めて伸ばしていったほうが、同僚は成長するんじゃないか。 それが、社長のお考えでした。 反面、私は常識が出来上がっているので一課の課長の鞭で叩かれた方がきっと伸びるだろうと、結論付けられました。 しかし、これが間違いです。 同僚は厳しく躾られても、あまり凹んだりする事もなく、割と伸び伸びとした性格でした。 反対に私は、人のヒステリーに敏感で声を荒げられると言葉を上手く話せなくなるという、厄介な性格です。 辞令が出てから三ヶ月。 心身ともに限界を超えてました。 何より一番辛かったのは、課長のヒステリーの餌食になることでした。 声を荒げ、怒鳴られ、罵られる毎日。 人のやったミスも、私自身のせいにされてしまったり、書類を投げつけられたり。 慣れない営業は勿論、一人で回らなければいけなくて、変質者が出たような路地が近道だと教えられればそこを通らなければならず。 怖いから嫌ですとはっきり言ったこともありましたが、仕事だと一蹴されました。 でも、誰も助けてくれないんです。 そりゃそうですよね。 私は完全に課長のストレス発散の捌け口にされていたんですから。 何を言われても言い返さず、文句も言わず、ただ飲み込むだけの私は社員の中で都合のいい存在だったんです。 課長がヒステリーを上げる標的が、私になれば、他は安心です。 社長自身も、彼女のヒステリーには手を焼いていたようで、私への罵詈荘厳は見て見ぬフリ。 そこでやっと気付けたんです。 この企業に私を私として認識してくれる人はいない その頃は≪会社辞めさせ代行≫なんてモノは存在していない頃でしたので、自分で言うしかありませんでした。 震える手で退職願を書いて、郵送で送ろうとしましたが。 辞める手続きが必要なので、出社するように言われました。 しかし、出社するとそこから縛り上げが始まりました。 一ヶ月前じゃないと退職できない、だとか 終業時間まで仕事をするのが当たり前、だとか 引継ぎ業務を終えるまで、今日は帰宅できない、だとか。 私は追い詰められて、父に助けを求めました。 この時の父が≪会社辞めさせ代行≫の役割ですね。 父が電話先で課長の相手をしてくれました。 具合が良くない父親を置いて会社に出てるのに、まだ引き止めるのかと電話口で怒鳴る声がもれ聞こえました。 同僚や他の社員の方は、懸命に私を引き止めようとしていました。 そうすると、何故か、涙が止まらなくなりました。 理不尽な思いを押し殺して退職の日まで、頑張っていたのに。 辞められたら、あの課長の相手を出来る人がいなくなるという、冗談なのか本気なのかわからない一言に、酷く傷付いたからです。 社会人としては、人前で大声で泣き喚くなんて事は、きっとしてはいけないんでしょう。 ですが、あの日の私は泣く事でしか、あの状況を打破出来ませんでした。 辞めさせてください、お願いです。 ただ、そう告げるともう誰も何も言わなくなりました。 私は泣きながら私物だけを抱えて、会社を後にしました。 ――これが、私の退職体験です。 退職した後に見た空は兎に角、綺麗で清清しいものだったことだけ、今も鮮明に覚えています。 辞めたくても辞められない。 これは一種の強迫観念です。 頑張っていればいつか報われると、信じて、駆け抜けた日々は決して無駄にはなりません。 それでも、報われないと少しでも感じたなら、今すぐにでも動き出す事が、自分を救ってあげることに繋がるんではないでしょうか?